ふわふわした感覚に目を開けると、辺りは真っ白だった。
あれ、私どうしたんだっけ。
確か、鬼と対峙して、自分で腕切って、壁に叩き付けられて・・・あれ、死んだかな。
浮遊感と、記憶がぼんやりとした感覚が、なんだか心地いい。
もうこのままでもいいかな、なんて思ってしまう。
『だめだよ』
どこからか声が聞こえた。
そちらの方を向くと、男の子が立っていた。ぼんやりとした姿でよく見えないが、確信した。
あの人だ。
私が、大好きだった、あの彼だ。
そう、大好き”だった”。
『ちゃんと、なまえちゃんが好きな人のところに戻りなよ』
彼が優しい声で言う。
私はそれに、素直に首を縦に振ることができなかった。
『なまえちゃんは、僕を忘れたくないんじゃないでしょ?』
「え?」
聞き返したけれど、同時にぎくりとした。
『僕を忘れることで、こっちの世界から自分が消えてしまうのが怖いんだよね』
そう。
私にとって、彼の記憶が元の世界と自分を繋げる唯一のものだった。
それを忘れてしまったら、自分がどうなってしまうのかがずっと怖かった。
元々自分が存在しなかった世界に飛ばされて、その上で、元の世界との繋がりがなくなってしまったら?
ずっとその恐怖に怯えていた。
『でも、もう大丈夫でしょ?』
彼が、穏やかな声で言う。見えないけれど、きっと同じように穏やかな顔で笑っているんだろう。
『ちゃんは、もうこっちの世界と強い繋がりが出来てる』
「強い、繋がり・・・」
『そう。君の大好きな人、大切な人たち・・・この世界の人と、強い絆で繋がってる』
そう言われて思い浮かべる。
私を見付けてくれた人、いつも気にかけてくれた人、私を・・・好きだと言ってくれた人。
愛しい気持ちが湧き上がる。
「・・・会いたい。みんなに、会いたい・・・!」
同時に涙が溢れた。
あの温かい場所に、また戻りたい。いつの間にかあの場所が、今の私にとって、かけがえのない居場所になっていたのだ。
それを聞いていた彼が、うん、と優しく頷いた。
『ね?もう大丈夫でしょ?』
「・・・うん」
『安心して、戻れるね』
「・・・うん、でも」
君は?という言葉を含んで、目の前の彼を見つめると、少し間を置いて彼が答えた。
『ふふ、やっぱりなまえちゃんは優しいね。全然変わらない』
「だって」
『例え、君が僕を忘れてしまっても、僕が君を忘れない。大丈夫。それだけで僕たちはどこかで繋がってる』
だから、安心して。
ふわりと周りに風が吹いた。なんだか彼に頭を撫でられたような、そんな温かさを感じた。
他にも言いたいことはあったけれど、きっとこれ以上は無理なんだと、感覚的に分かった。
引き戻される感じがした。
「・・・ありがとう!本当に、ありがとう・・・」
『うん、僕の方こそ、ありがとう』
それ以上は何も言わなかった。楽しかった、も、大好きだった、も。
ただただ、ありがとう、だった。
じゃあね。
ふわっと、意識が途絶えた。
目を開けると、湿っぽい雨の匂いがした。
視線を横に向けると、彼が、善逸くんが飛び出しそうなほど目を見開いて、なまえさん!と叫んだ。
「よかった・・・よかったよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
聞き慣れた、少し頼りない彼の声に、少し懐かしさと、安心感、そして愛おしさを感じた。
握られた手が温かい。
「善逸くん」
わたわたと慌てて、しのぶさんを呼ぼうとする彼を見ながら、ふと名前を呼んだ。
善逸くんはすぐにまた私の方に来て、どうしたの?痛いところない?と慌ただしく言う。
それがまた可笑しくて。
「すき」
思わず言うと、彼は電池が切れたようにストップしてしまった。
もう一度、好きだよ、と言うと、今度は顔を真っ赤にして、なんだかよく分からないことを叫びながら部屋を出て行ってしまった。
ぽかんと扉の方を見つめながら、思わず笑みが零れた。
ああ、帰ってきたんだ。
ふと見た空には、雨上がりの空に虹が架かっていた。